裁判が始まっても郵政さん工事を止めてくれない。
原告団と弁護士団は正面からこの問題に取組んでいます。
私は応援団。裁判が行われたことに感動し、少しでもお役に立ちたい。
文化財保存のための裁判は、1969年、大阪で難波宮跡を守るためのものが最初。それは役所の公金支出が文化財の破壊を伴うことから始まるもので、まわりくどいと批判があった。
それから40年、重要文化財に値する建物の保存に研究者が,指定の要求が出来る法律が出来ている。実現には困難を伴うが、専門的立場で堂々と文化財にすべきと訴えている。これは進歩だ。
しかし、法はそれだけで実効を持つものではない。実態を持たさねばならない。すなわち、保存の意味を訴え、裁判所が其の訴えを聞き、原告団を支持する判決をだしてくれねばならない。それには時間もかかる。
お金もかかる。問題は山積。
しかし、やらねば道は開けない。建築そのものの価値、大阪駅前に於ける建物の意味、大阪の歴史や通信、交通、街造りを知る建物。加えて建物を今日的に活用することの意味。大阪をもう一度考える機会でもある。
しかし、目的は裁判に勝利し、郵便局舎を守ること。頑張ります。ご支援下さい。
保存問題tw12/08/19
返信削除1」毎年続けている堺市立東文化会館での戦争展、無事終了、感謝。市民から貴重な木銃をお借りして展示。90代の元海軍中尉が来られて、気合を入れて突きの形をされたり、たくさんの人たちが手に取り、懐かしそうに教練の練習をしていました。戦前の木銃は、珍しく、戦時中の歴史資料として保存を求めます
2」今年の、堺市立東文化会館での戦争展には、市民から、貴重な特攻隊員の写真アルバムを寄贈いただきました。戦争展に来られた人たちは、熱心に見とれていました。特攻隊の歴史を、表面的な事で、批判、美化するのではなく、正しく、後世に伝える為にも、これらの写真は、保存し、活用したいと思います
3」戦時中に描かれたしま模様が見つかった百十四銀行高松支店(丸亀町)。大戦中に空襲の被害を避けるため、建物に施された迷彩塗装が、西壁で見つかった。コールタールで塗られたしま模様が柱に残存。戦時中は多くの都市で役所や工場など主要な建物に同様の迷彩が施され、現存する例は少。~是非保存を!
4」迷彩が施されていた当時の114銀行高松支店(45年7月4日の高松空襲直後に行員が撮影)迷彩は、上空から建物の存在を分からなくするのが目的「防空偽装」と呼ばれ、都市の主要な建物に施された。多くは雨でも消えにくいコールタールが塗られたが、姫路城の天守閣には巨大な黒い網が。現状の保存を
5」 百十四銀行高松支店は、13年7月に完了予定の耐震改修で、西壁も一新する予定「高松空襲を記録する会」の世話人岡田昌子さんは「戦争の記憶を後世に語り継ぐ資料として、何らかの形で残してほしい」と~貴重な戦争遺構として、後世に悔いを残さないよう正しく評価して、保全活用されるよう要望します
tw12・08・20
1」史実語る「壁」保存。銃撃で開いた穴が残る板壁を前に平和への思いを語る。慰霊碑の前で平和を誓う高校生=橋本市古佐田。太平洋戦争末期の45年7月、橋本市の駅を米軍の艦載機が襲った。機銃掃射で油の入ったドラム缶が爆発し、5人が死亡。~阪口繁昭さんらの努力で、貴重な戦争資料の保存万歳!
2」高射砲 B29に届かず。伊勢神宮を守る高射砲陣地は複数。近鉄五十鈴川駅近くの畑には弾薬庫の跡が残る=伊勢市。防衛任務。昭和20年2月から配備についた宇治山田防空隊が、高射砲の弾薬庫。~貴重な戦争遺構として、後世に悔いを残さないよう正しく評価して、文化財にして保全活用されるよう要望
3」高射砲陣地が築かれたのは、皇族の宿泊施設「伊勢離宮」のための用地。大正末期からの買収や整地は済んだが、戦争で計画は止まった。「伊勢神宮を守るため、という説明。砲や弾の生産が間に合うのだろうかと思いながら、高射砲を据えて移動させる溝を掘った」~貴重な戦争遺構として文化財で保存活用を
4」連隊本部は志摩、鳥羽市、玉城町、渥美半島に置かれ、師団の総勢は約1万44百人。当時兵役義務年齢は45歳に引き上げ「根こそぎ動員のため、未熟の上に装備も最低。歩兵に小銃なく竹光帯剣」という部隊もあり、戦車への肉弾攻撃を訓練。~忘れられて行く、戦争の跡を、歴史遺産として保全再生を!
5」常設展示と一体整備 四日市・公害資料館。市立博物館内、方針固まる。学習スペース確保。四日市市が「四日市公害と環境未来館」の名称で市立博物館内につくる公害資料館の整備方針が。~難しい問題を聞いていたが、とにかく、公害資料館が実現に向けて進むことは、素晴らしい、いい資料館を求めます
6」元原告や元被告企業の代表らでつくる市の「あり方検討会」は昨年9月の基本構想で、立地場所について「四日市公害について体感学習ができる、公害が最初に発生した第1コンビナート(臨海部)周辺の既存公共施設を有効活用する」と。~公害資料館の設立で難しい問題もあったが、関係者の意見が聞きたい
7」常設展示と一体整備 四日市・公害資料館。市が当初計画した塩浜地区への立地が地元の反対で頓挫し、博物館に変更、基本構想を「集客力のあるシンボリックな公共施設の有効活用を図り、国内外への情報発信拠点としていく」に改める。独立館がいいが、われわれも公害資料館を要望していたので複雑です
tw12/08/21
6」戦争に関する遺跡の保存や活用について考える「戦争遺跡保存全国シンポジウム」鈴鹿大会(戦争遺跡保存全国ネットワークなど主催)が18日、鈴鹿市飯野寺家町の市文化会館で始まり、保存活動に取り組む全国の市民団体のメンバーら約450人が参加。明治以降の軍事に関わる遺跡を「戦争遺跡」と呼ぶ
7」ネットワーク代表の十菱駿武さんが、国や県、市などが文化財として指定、登録している遺跡のうち、戦争遺跡は205件に上ることを報告。「平和を求める運動として保存活動を進めていきたい」と。~戦争遺跡の研究では重要な研究団体、参加したいと思いながら、失礼している。今後のご発展を祈ります
11」戦争遺構研究会の要望について香川県からの回答。高松空襲にも耐えた高松市内でも数少ない建物、今回発見された「迷彩塗装」は、戦争の歴 史を如実に物語る貴重な資料と考えられます。現在、当教育委員会では、百十四銀行に対して 「迷彩塗装」の取り扱いについて確認を行ってお ります。ご検討を!
19」ニッケパークタウンに隣接する煉瓦造建築=日本毛織(ニッケ)旧加古川工場の跡地がある兵庫県加古川市加古川町の本町地区で、貴重な明治期の煉瓦造建築が来年秋までに解体。~かけがえのない歴史遺産を、補強し、後世に悔いを残さないよう正しく評価して、文化財にして一部保全活用の検討を要望します
20」日本毛織(ニッケ)旧加古川工場は1899(明治32)年に操業を始め、大正期にかけて拡張。現在は、一部が商業施設「ニッケパークタウン」となったほか、関連企業の工場、倉庫などとして使用~日本では、短期間に終わった貴重な煉瓦造の歴史を保存する為にも、開発的保全再生を要望します。ご検討を
tw12/08/22
5」中国東北地方の近現代遺産の世界遺産登録についての要望書。中華人民共和国政府殿、国際連合教育科学文化機関殿。世界の平和を願う立場から、地球市民として、近現代史の生き証人・教材として、次のものを世界遺産(負の遺産)に登録されるよう、ご配慮を。~批判覚悟で、尖閣諸島も世界遺産にどうか?
14」中之島図書館、転用に困惑 美術館構想「金もうけ」?大阪市のランドマークの一つ、大阪府立中之島図書館の建物を、橋下徹市長が美術館など別の用途の集客施設に転用する方針を表明し、利用者に困惑が広がっている。歴史建築への理解は有難いが、安易な転用は、文化破壊になります。文化都市の再生を!
15」中之島図書館は04年に開館。住友銀行を創設した15代住友吉左衛門が、人口が多く商業も盛んな大阪に図書館がないことを危ぶみ、現在の金額で数十億円相当の建設費と図書購入費を寄付。吉左衛門は「皆さんの研究活動に資することは、わたしの願いにかなうだけでなく国家をも益する」と~忘れないで!
tw12・08・23